警察の罪

人として絶対にやってはならないことが、いくつかあると思う。例えばそれは殺人だったり、例えば核兵器の発射ボタンを押すことだったりする。それと同列に扱うことができるものとして、冤罪(無実の人に罪をなすりつけて犯人に仕立て上げること)があると思う。


最近では足利事件が有名であるが、過去にもいくつもの冤罪事件がある。
昨日、教育テレビ(22時から)で免田栄さんの事件を見た。こういう番組を見るたびに思うことは、どうしてこういう悲惨な事件が後をたたないのか?ということだ。私が悲惨だと思う対象は、もちろん免田さんのことだ。殺された被害者がもっと悲惨なのは言うまでもないことだけれど。


言うまでもないことだが、警察の仕事は殺人犯を捕まえて法廷に差し出すことである。そして犯人は、罪に相当する罰を与えられる。めでたし、めでたし。

だが、その犯人だと思われていた人が、実は真犯人ではなかったとしたら・・・、もっと言うと、その犯人が警察によって犯人に仕立て上げられた無実の人だったとしたら・・・、もっと言うと、犯人に仕立て上げられた無実の人が既に死刑にされていたとしたら・・・


これほど悲惨なことがあるだろうか?私は無実の人が死刑にされたことがあるかもしれない確率は非常に高いと思う。それは、ひとりかもしれないし、20人かもしれない。つまり、死刑にされた者が実は真犯人ではなく無実だったという可能性が否定できないということである。

かといって、私は死刑制度に反対している訳ではない。真犯人はそれ相当の罰を受けるべきだと思うからである。だが、それは本当に真犯人であることが大前提であることは言うまでもない。


表に出ている冤罪事件での警察の取り調べや調書は、実にいい加減で、でたらめで、ずさんで、暴力的である場合が多々ある。つじつまが合わないことを強引につじつまを合わせる。アリバイがあった者をアリバイがなかったことにしてしまう。(実際、免田さんにはアリバイがあったが、旅館のフロントの担当者の記憶を警察の都合のいいように捻じ曲げられている。)都合のいいところは拡大解釈して、都合の悪い事実は無視する。髪の毛を引っ張る。足で蹴る。(菅家さんの言葉。)毎日毎日長時間の拷問攻め。物的証拠がないから(無実だからあるはずがない)強引に自白させる。
つまり、無実の人間を殺人犯に仕立て上げている、もっと言ってしまえば、無実の人間と分かっていながら殺人犯に仕立て上げているケースがあるのではないかとさえ思えてしまう。

警察は、自白さえ引き出せば勝ちなのである。たとえそれが嘘の自白であっても、起訴されたら事実上、裁判でいくら無実を訴えても相手にしてもらえない。つまり、ベルトコンベアー式に有罪になってしまうという恐ろしい現実がある。


あなたは、一度自白しておきながら、無実を主張する被告に対して、往生際の悪い卑劣な奴だと思うかもしれない。だが、毎日拷問攻めに会ったら気が狂うか、自殺するか、嘘の自白をしてしまうしかないのである。だから今、取り調べの可視化の重要性が議論されているのだ。取り調べの可視化については、デメリット(真犯人を取り逃がしてしまう恐れ)もあると思うので慎重に議論する必要があるが。


こういう事件で感じることは、警察の目的は一体何なの?という純粋な疑問である。つまり、警察の目的は真犯人を捕まえることではなく、誰でもいいからとにかく誰かを捕まえることだったのではないかという警察に対する疑惑である。そう考えると警察は、実に恐ろしい。つまり、誰でも無実の罪で死刑にされる可能性があるということだ。


そして今、無実なのに獄中で死刑の日を待たされている人がいるかもしれないのである。死刑執行の最終判断は、法務大臣が行うことになっているが、なかなか最終判断を下さないのは、こういう事情を知っているからというのが、ひとつの理由なのではないだろうか?

無実の人間を死刑にするということは、殺人と同じことである。しかも恐ろしいことに公の正当な手続きを踏んでいるので、人を殺しても誰も罪に問われないのである。

こういうシステムが21世紀の先進国である法治国家のあるべき姿とは、とても思えない。


ここで私が問題にしたいのは、いい加減で、でたらめで、ずさんで、暴力的な取り調べをして、無実で善良な一般市民を殺人犯にでっち上げて、真犯人を取り逃がしてしまった警察がなんの罰も受けることがないという事実である。それどころか、殺人犯を捕まえたということで特別昇給でもして偉くなっているのではないか?という疑惑も否定できない。しかも、当時担当していた警察官は、無実が確定する前にとっくの昔に退職しているのである。


もうひとつの問題点は、無実が確定しても完全に元に戻れないということだ。まず、「本当にあの人は無実だったんだろうか?」という世間の冷たい目がある。それと経済的に困るということもある。実際、免田さんは長く囚われていたため年金の掛け金を支払うことができず年金をもらうことができない。警察によって一生を棒に振らされたあげく、謝罪の言葉もなく、生活にも困るという現実がある。冤罪の場合は、その期間に応じて1日いくらでお金をもらうが、それはあくまで謝罪金なのであって、それプラス何かがあってしかるべきだと思う。


最後に私が問題にしたいのは、この番組が日曜の午後10時に教育テレビで放送されたことだ。はたして何人の人が見ただろうか?NHKは民放と違って視聴率を気にする必要がないのだから、ゴールデンでやるべきだと思う。しかも総合テレビのNHKスペシャルとかで。

そして、あなたも民放の下らないバラエティ番組を見てケタケタ笑っている場合ではないのだ。

ある日、突然警察が家に来て、訳が分からないまま連行され、訳が分からないまま強引に自白させられ、いつのまにか死刑囚に仕立て上げられてしまう。

明日は我が身!恐ろしいことにこれが現実なのだから。